にしん蕎麦の日記

二週に一度の投稿を予定しています。

畠山重忠 悲恋伝説の地へ行ってきた

二週間のご無沙汰、いかがお過ごしですか?

本日も読んでくださり、ありがとうございます!

今回私は、現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する武将「畠山重忠公」にまつわる伝説を求め、東京都国分寺市の「姿見の池」へ行ってきました!

姿見の池

姿見の池は、かつて付近の湧水や恋ヶ窪用水が流れ込み、清水を湛えていました。 現在の府中街道とほぼ同じ道筋にあたる東山道武蔵路や鎌倉上道の宿場町であった恋ヶ窪の遊女達が、朝な夕なに自らの姿を映して見ていた ことから、「姿見の池」と呼ばれるようになったと言い伝えられています。

姿見の池【都名湧水】|国分寺市

姿見の池は昭和40年代に一度埋め立てられてしまいましたが、平成10年度に東京都の補助を受け、現在は、かつての姿に復元されました。

恋ヶ窪用水の湧き水

JR中央線西国分寺駅から徒歩5分程の場所にあるそこは、線路のすぐ側にも関わらず、落ち着いた雰囲気のある森で、鳥のさえずりが聞こえてきます。

水も綺麗で鯉が泳ぐ姿も見ることができました。

周りが住宅街ということもあり、散歩コースや駅への近道としても使われているらしく、多くの人が遊歩道を利用している様子が。

 

地元の憩いの場となるこの場所ですが、こんな悲恋伝説が現在でも伝わっています。

恋ヶ窪の悲恋伝説

秩父の庄司、武将 畠山重忠(はたけやましげただ)は、鎌倉街道の沿道に位置する国分寺の恋ヶ窪宿で遊女夙妻太夫(あさづまだゆう)と恋におちます。重忠が平家追討のため西国へ旅立つ際に、夙妻太夫は重忠の身を案じ、一緒に連れて行って欲しいと頼みましたが、戦いに女性を連れて行くことはできないため、忠重は一人で出征し、残された夙妻太夫は、毎日忠重の身を案じて暮らしていました。
夙妻太夫に思いを寄せる男が、二人の仲を引き裂こうと「重忠が戦いで討ち死にした」と嘘を告げると、夙妻太夫悲しみにくれて姿見の池へ入水自殺をしてしまいました。夙妻太夫の死を哀れんだ村人が手厚く葬り墓印として松を植えると、その松は夙妻太夫の悲しみのためか一葉になっていました。その後、戻った重忠が夙妻太夫の死を知り、供養のために無量山道成寺を建立して、阿弥陀如来立像を安置したほか、太夫の魂をなぐさめるため金仏様を造らせて太夫をとむらったと伝えられています。

ぶらり国・府

ちなみに、現在の一葉の木は東福寺の境内に植樹されています。約800年経った現在でも夙妻太夫を弔う思いが見えました。

良ければ、足を運んでみてくださいね。

 

・おまけ

姿見の池の近くに、かつて鎌倉から高崎を結んでいた鎌倉街道上道の跡が通っていました。

残念ながら宿場町跡の場所までは発掘されていませんが、当時の鎌倉街道の広さなどを実感することができました。

 

鎌倉街道(高崎方)